葉山のぺりぺりです。
何かを続けることは素晴らしいと思っています。ルーティンを大切にしてきたからこそ、凡人の自分でもここまでまともに生きてこられたんだと思います。 私はルーティン信者です。
しかし、ルーティンに囚われすぎると、自分に良くない影響を及ぼしてしまう副作用があります。 それにも関わらず、やり続けてしまうことがあります。
私の場合は30代でフルマラソンに挑戦し、練習を続けていました。 今から考えると、そこまでランニングが好きではなかったし、どちらかと言えば嫌いなのに、ただルーティンに囚われて走っていました。
しかし、私は自分の体からのサインを受け取り、もう走ってはダメだと思いましたが、なかなか習慣的なルーティンを辞められませんでした。幸いなことに、コアラの支援があったおかげで、辞める決断をすることができました。
この経験から、ルーティンに囚われることは危険だということを認識しました。今回の記事では、その危険性について詳しく掘り下げていきたいと思います。
フルマラソン出場|ランニングについて
私は人生で2回フルマラソンに出場したことがあります。千葉の佐倉のマラソン大会と、東京マラソンです。人生初の佐倉のマラソンではなんと3時間59分という「サブフォー」を記録しました。
運動音痴でスポーツ苦手、運動で褒められたことがない私が、唯一フルマラソンで自分的にはすごい記録を出し、承認欲求の塊の自分はマラソンにすっかりハマってしまいました。
ランニングを始めたのは、会社のマラソン同好会の皇居ランに参加したのがきっかけでした。会社の後に皇居を走り、その後銭湯に行って、仲間とビールを飲むのが楽しく更にランニングを楽しくさせました。
そこにダイエットの目的も加わり、ルーティンで必ず15キロ土曜日に走ろうと決めました。 雨の日も風の日も雪の日も、飲み会の後夜10時からでも酔っ払いながら15キロは何があっても毎週土曜日に走りました。
ランニングは、10年くらい続けました。
ランニングが及ぼした心と体への影響
いつからかは覚えていませんが、走ると吐き気を催すようになりました。実際に吐くことはありませんでしたが、毎回走り始めると必ず、嘔吐反応が現れ、気持ちが悪くなりました。
胃腸の薬を試してみたり、走っている途中で何度も水を飲んでみたりしましたが、その症状は改善しませんでした。
走ると反射的に、オエっとくるんです。本当に辛かったです。それでも走ることをやめませんでした。
嘔吐反応に耐えながらも、涙を流しながら走り続けました。 ランニングは私にとって特別なものだと信じ込もうとしていました。 自分の記録やルーティンを失いたくないという思いから、ただ走り続けました。
しかし、嘔吐反応は実は私がランニングを本当は嫌いであり、心と体がもう走りたくないというサインだと気づきました。
ルーティンを定期的に見直す大切さを知る
ルーティンをやめられたのは、コアラのおかげでした。 ゲーゲー言いながら走る私に、もう走るのはやめなさいと言ってくれました。
言われてもしつこく走っていましたが、走る代わりにウォーキングをしようと、一緒に歩いてくれました。 その後、無事に走ることをやめることができました。
一度囚われると、自分のためにならないと分かっていても、なかなかルーティンをやめることは難しいものです。
定期的に自分が習慣的に行なっているルーティンを見直し、本当に今の自分のためになっているかを考えながら、ルーティンを楽しむことが大切です。
まとめ
ルーティンは今でも素晴らしいと思っていますが、この経験から見直すことの大切さを深く理解しました。
吐き気と戦いながら走る苦しみを経験したことで、自分の感情をより深く理解しました。 時には囚われることの危険性を認識し、柔軟性を持って生活することが大切だと感じています。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
しつこい力💪は人生を切り開くけど、悪影響も及ぼすものです。柔軟性を持ってルーティンを続けていきたいです。
ぺりぺりでした!